RYOSENJI
幕末──。鎖国以来、日本で最初の開港場となった下田。
黒船により来航したペリー提督一行は、了仙寺へ向かって参道を行進してきました。
日本の民間異文化交流は、日米下田条約締結の地「了仙寺」で始まりを告げたのです。
了仙寺3つの顔
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幕末の歴史舞台
854年3月31日、アメリカ全権ペリーと日本幕府全権・林大学頭によって日米和親条約が結ばれ、下田は鎖国以来日本で最初の開港場となりました。
下田に入港したペリーは日本側と条約の細かい規定(日米下田条約)を定めました。その話し合いの場所となったのが了仙寺です。
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黒船関連資料の保管庫
了仙寺敷地内にある黒船ミュージアム(Mobs)には黒船来航や幕末の異文化交流に関する膨大な資料が所蔵されています。
開国・黒船をテーマに収集された3,000点を超える原本資料。教科書やテレビで見る黒船・ペリーの絵や開国に関する画像資料はほとんどが了仙寺から提供されています。
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ジャスミンの寺
了仙寺は「ジャスミンの寺」としても有名です。境内から参道にかけて数百株のアメリカジャスミン(においばんまつり)が植えこまれ、満開となる5月中旬から下旬には周囲が甘い香りに包まれます。
満開の時期に合わせてイベント「香りの花祭り」も開催されます。